読書
【002】望郷 湊かなえ【だからわたしは本を読む】
【002】望郷 湊かなえ
![]() |
![]()
湊かなえの「望郷」は「みかんの花」、「海の星」、「夢の国」、「雲の糸」、「石の十字架」、「光の航路」、の6編からなる連作小説集。舞台はすべて同じひとつの島。印象としては長編の「母性」にも出てきたような、窮屈な家庭環境や封建的な社会、閉鎖的なコミュニティで暮らす人々が描かれていたように感じた。世界があまりにも狭すぎて、古くからの習わしや常識とされるものに疑問を抱いたとしても決して抗うことはない。ちっぽけな世界での常識は、大きな世界にでてみれば非常識にあたるかも知れないのに、それが非常識なのかどうかもわからずに過ごしている。
ある種、いじめで悩む少年少女も、このような閉塞的な環境に置かれているのだろうか、と感じた。「光の航路」という一編にでてくるいじめという言葉がよくないのだと主張してるところは思わず頷いた。いじめというから加害者側も傍観者もことの重大さに気付けないのかもしれない。あれは、暴力、暴行、傷害、誹謗中傷、窃盗、器物破損、そういった罪名がふさわしい。
いじめで悩む人たちが読んだら、ちっぽけな世界にこだわる必要がないことに気付ける一冊になるのではないかと思う。
「夢の国」で祖母の顔色をうかがいすぎてドリームランドへ行けなかった話などでも島を出ていきたくてたまらない子供たちと、島を出ていくという選択肢すら持たない大人たちが描かれている。島は社会であったり、学校であったり、職場であったり、人間関係であったりに置き換えることが可能だ。
島で起きる6つのちっぽけなコミュニティを覗いてみれば、きっと救済のヒントが見つかるはずだ。
2016.05.10
【001】緑色の休み時間―広太のイギリス旅行【だからわたしは本を読む】
【001】緑色の休み時間―広太のイギリス旅行
三輪 裕子 (著), いせ ひでこ (イラスト) (わくわくライブラリー)
![]() |
![]()
「だからわたしは本を読む」ことのきっかけともいえる小学5年生の頃に発売されたこの本を新刊として図書室で手にしたのをいまだにはっきり覚えている。新刊を手にとるという行為がはじめてのことで、この学校で一番最初にこの本を読むのが自分だというスペシャル感が後押ししてくれたのはいうまでもない。小学5年生の世界はまだまだ狭く小さい。イギリスといえばシャーロックホームズ、アルゼンチンといえばマラドーナ、ブラジルといえばペレ、ジーコだった。そんな自分にはじめて「ウェールズ」という国名を植え付けた本で、いまだにウェールズと聞けば昔読んだこの「緑っぽい表紙」を思い出すぐらいだ。
児童書として根強い人気を誇っているようで、かくいう私でさえいまだに記憶に残っているので相当な衝撃を受けたといえる。言葉の通じない青い瞳の少年と、異国で過ごす夏休みの思い出だ。なんといってもウェールズの美しいであろう景色が手に取るように伝わり、言葉など通じなくとも芽生えていく友情。大人になって読み返すと、忘れかけてしまった「少年時代の気持ち」は甦るものなのだろうか。絶版となっているようなのが残念だが、もう一度読みたい本、あるいはこどもに読ませたい夏休みの一冊に強く推したい。
2016.04.04
だからわたしは本を読む。
だからわたしは本を読む。
大事なことはすべて本が教えてくれた。
というのは嘘だが、幼い頃から本を読むのは好きなほうだった。
小学校5年6年の頃、テストの時間で早く終わったものは図書室へ行ってよいというシステムだった為、私はいつどんな時でも必ず一番でテストを終わらせて図書室へと走ったものだ。テストとは本来満点を目指すものなのだが、私の場合は点数よりもスピードに重点を置いていた。速く終わらせられればその分図書室での自由な時間が増えるのだ。本を読むことも好きだったが、それ以上に本を借りることに夢中になっていた気がする。
当時は図書館も含め図書室にはバーコードシステムなどなく、図書貸出カードに借りた日付と氏名を記入する。たくさん借りれば必然的に貸出カードへ名前を書く頻度は増えていく。図書室にあるすべての本を借りたい。言い換えればすべての図書の貸出カードに自分の名前を残したい。それが、小学校時代の私のちいさな野望だった。母校の小学校の図書システムもさすがに変わったと思うが、まだ貸出カードが残っているとするならば、かなりの割合で私の名前を発見することができるはずなのだが・・・。
本当に本を読んでいたのかどうかは今となっては定かではないのだが、名前を残したい一心でたくさんの本を借りた。
どちらかといえばといわなくても明らかに活発なほうに属していたので長めの休み時間や昼休みは晴れれば校庭でサッカーかドッジボール。雨なら体育館でドッジボールかバスケをしていた。休み時間に図書室へ行くことはほとんどなかった。やはり「テスト」のあとや放課後の一瞬しか本を借りるチャンスはなかった。放課後は仲間と一緒に校庭でサッカーをして遊ぶ。待たせるわけにはいかない。その頃から「せっかち」というか、時間を有効に使う術を身に着けていた私は、「次に借りる本」をあらかじめ決めて動いていたフシがある。なので今も、常に、読みたい本(欲しい本)は10冊以上そらで言えるぐらいだ。
あれから、時がたった今も、年間100冊は本を読む。
ひょっとしたら、あの頃の、ちいさな野望がベースにあるのかも知れない。
だからわたしは本を読む。
本棚を公開する
読書ログというツールを使っている。
読書系のログは3~4個あるが、運営会社が好きか嫌いかの消去法で結局このツール一択になってしまった。
本を読んだらバーコードを読み込んでWEB本棚に登録する。
5段階の星の評価を下す。
とても簡単だ。
それと、読んだ本が蓄積されていくので、やめられなくなる。
しかし、読んだ本をさらすという行為は、
頭ん中を見せるようで恥ずかしい。
分類すれば「日本文学」一色になっている。
大昔、父親に濫読をすすめられたことがあるが、今頃になって思います色々な分野の本を読んでおくべきだったな、と。
まあ、これからも増えていくであろう「読書ログ」のWEB本棚を公開しておきます。14年の10月ぐらいから登録しはじめました。
毎年、年間100冊を目標にしていますが、なかなか難しいですね。
週1冊は最低限クリアできていますが。さすが週2冊は読めないですね。
アウトプットするならそれ以上にインプットしておかなければ。
というのを口癖にこれからも読み続けます。

