だからわたしは本を読む。

だからわたしは本を読む。

だからわたしは本を読む。

大事なことはすべて本が教えてくれた。
というのは嘘だが、幼い頃から本を読むのは好きなほうだった。

小学校5年6年の頃、テストの時間で早く終わったものは図書室へ行ってよいというシステムだった為、私はいつどんな時でも必ず一番でテストを終わらせて図書室へと走ったものだ。テストとは本来満点を目指すものなのだが、私の場合は点数よりもスピードに重点を置いていた。速く終わらせられればその分図書室での自由な時間が増えるのだ。本を読むことも好きだったが、それ以上に本を借りることに夢中になっていた気がする。

当時は図書館も含め図書室にはバーコードシステムなどなく、図書貸出カードに借りた日付と氏名を記入する。たくさん借りれば必然的に貸出カードへ名前を書く頻度は増えていく。図書室にあるすべての本を借りたい。言い換えればすべての図書の貸出カードに自分の名前を残したい。それが、小学校時代の私のちいさな野望だった。母校の小学校の図書システムもさすがに変わったと思うが、まだ貸出カードが残っているとするならば、かなりの割合で私の名前を発見することができるはずなのだが・・・。

本当に本を読んでいたのかどうかは今となっては定かではないのだが、名前を残したい一心でたくさんの本を借りた。

どちらかといえばといわなくても明らかに活発なほうに属していたので長めの休み時間や昼休みは晴れれば校庭でサッカーかドッジボール。雨なら体育館でドッジボールかバスケをしていた。休み時間に図書室へ行くことはほとんどなかった。やはり「テスト」のあとや放課後の一瞬しか本を借りるチャンスはなかった。放課後は仲間と一緒に校庭でサッカーをして遊ぶ。待たせるわけにはいかない。その頃から「せっかち」というか、時間を有効に使う術を身に着けていた私は、「次に借りる本」をあらかじめ決めて動いていたフシがある。なので今も、常に、読みたい本(欲しい本)は10冊以上そらで言えるぐらいだ。

あれから、時がたった今も、年間100冊は本を読む。
ひょっとしたら、あの頃の、ちいさな野望がベースにあるのかも知れない。
だからわたしは本を読む。

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