試練

試練

神は乗り越えられる試練しか与えない
とは誤用なのだとか?

思い返せば
クリスチャンの学校に通っていた時に、
すべてを斜めに見るクセがついてしまった。
聖書の授業は嫌いではなかったが、
物事を反面教師にとらえる格好の材料になってしまった。

そんな、斜めからしか物事を見れない人間が、
歳だけ重ねて「大人」になってしまった。

本題に入ろう。

いらない試練を、
自らに課す。

まわりに迷惑をかけて、
大事な人の信用を失って、
人の気持ちをふみにじって、
今の自分があるのが誰のおかげかも見失い、
平穏な毎日に背を向け、
幸せに満ちた現在にツバを吐いて、
愛情あふれる支えてくれる家族に、
パートナーに、中指たてるような真似をして、
そこまでして自分勝手に生きたいのか、
馬鹿者よ。

そんな馬鹿者は、
自らに、試練を与えた。
しかし、その代償は大きい。
傷つけてしまった人の心は、
それ以前には戻らないのだ。
汚れは洗えば落ちる、
でも落ちない汚れもあるとは北の国からで
宮沢りえ扮するしゅうが語っていたように思うが、
心の傷もまた、
時間がたてば癒えるとかいうものでもない。
癒えないのだ。
傷つけられたそれ以前の心には戻れないのだよ。
その傷を人々に背負わせたまま、
向き合わなければいけないのだ。
罪びとよ。罪にはそれ相応の罰が必要だ。
馬鹿者は、罰を受け入れるべきだ。

歳をただ重ねただけの「大人」は、
想像以上に未熟だった。未熟すぎた。

神は乗り越えられる試練しか与えない。

この試練、
俺は乗り越えられるのだろうか。

いや、乗り越えなければいけない。
逃げてはいけない。
それが罰だ。
必ず乗り越えてみせる。

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