海の日

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海の日といえば二度目の高校時代の同級生である「Y君」の誕生日なのだ。随分昔から頭の中にそう刷り込まれている。もちろん海の日は当時はできたてほやほやで、7月20日のことをさしていた記憶がある。二度目の高校時代、引っかかりを覚える方もいるかも知れないので補足しておくと、高校を中退してから定時制高校へ編入している経緯があるため、全日制時代を一度目、定時制時代を二度目と呼ぶようにしている。

そんな二度目の高校で、年齢としては一歳下のY君とは二年から四年まで三年間クラスメイトだった。

Y君はサンドウイッチマンの伊達さんやドルトムント香川真司などが通っていた中学校エリアに住んでいて、実家は不動産屋さんだったと記憶している。

今の世の中はちょっと不思議な人には、アスペルガーやらADHDやらなんちゃらシンドロームやらとすぐ病名をつけたがる。まあ病名をつけたほうが分類しやすいし分類されやすいし第三者への説明もラクなのだと思う。しかし、当時からあったのだろうか? あったのかも知れないが、少なくとも自分は知らなかった。

Y君は、いまでいうそのなんちゃらなのかも知れないが、不思議な子ではあったがオレたちは一クラスメイトとして普通に接していた。クラスの人数は少ないし、仕事をしながら学校に通うものが大半を占めていた。学校でちょっと不思議な子がいるからといってからかってみたり、いじめに発展したりという無駄なことに時間を費やす暇は誰ももっていなかったのだと思う。

Y君は不思議だった。授業中は静かに授業を聞いていたが、休み時間はみんなにきいてほしいレベルのでかい声での独り言が多かった。いわゆる体全体で貧乏揺すりのような縦揺れをしながら「ひとつ屋根の下」のちーにーちゃんと小梅のくだりを熱演していた。恐らくドラマの中のセリフを全部覚えていて、演じていたのだと思う。それから、スピードの島袋寛子と今井絵理子が対話しているシーンを演じたりしていた。これは恐らく夜もヒッパレみたいな番組の進行だったと思う。休み時間は基本的に、誰かに聞こえるようなでかい声でずっと独り言を言っていた。

たまに「Y君、寛子のこと好きなの?」と独り言を拾ってやると、照れながらも誰も知らないような寛子のパーソナルデータをよくもまあ覚えているねというレベルで語ってくれた。仲は良かったと信じている。修学旅行にオレが行かなくて、Y君がつまらなそうにしていたという話をきいて心が痛んだのを思い出す。いや、それはオレのうぬぼれかも知れない。

時を経て、のりP事件のときはちーにーちゃんや小梅でお馴染みのY君はどんな思いで「小雪」のことを考えたか、Y君のことを思い出さずにはいられなかった。先の参院選で今井絵理子が当選したが、今井絵理子が出馬した際どんなことを思っていたのだろうかとY君のことを考えた。

そう考えると、オレはY君のことをちょくちょく思い出しているわけだが、はたしてY君はオレのことを思い出すことはあるのだろうか。でかい独り言でオレの名を呼んでいることはあるのだろうか。できれば、あの独り言にオレも登場しててほしいな、などと願っている。

Y君の誕生日は20日だが、海の日を迎えるたびにオレはY君のことを思い出すのだ。

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