【自遊掌劇場】そういうパターン
ads by google
「そういうパターン」
話には聞いていたものの本当にこんな電話がかかってくるとは思わなかった。
入念な下調べをしているのか、ただ単に個人情報が漏れているだけなのか、電話の相手は完全に息子になりすましていた。
「ツトムだけど。おやじ、今ちょっといい?」
声色を似せていたのかどうかは知らないが、風邪をひいたときの鼻声の感じにはよく似ているような気もした。ひょっとして本人なのかも知れない、と思わなくもなかったが息子が自宅の固定電話に電話をかけてきたことはこれまでに一度もない。用事があるときは女房の妙子の携帯電話に電話をしてきている。
「どうした? なんか声がこもってるな」
やや心拍数があがっている自覚があったが、余計なことは言わないように、そして冷静に対処しようと心に決めた。相手がボロを出すまで付き合ってみようと思ったのだ。話のネタとしてはこの上なく面白いし、結局は相手の要求に従わなければいいだけの話だ。テレビでも再三にわたって注意喚起しているし、自治体や警察署からも独自のパンフレットが配布されているぐらいだ。相手がどのような手口を使うのかは知らないわけではない。
「ちょっと風邪ひいちゃってね。それより、ちょっと急な話でアレなんだけど」
だいたいこの手の事件はコミュニケーションの希薄化が原因で、親と子が疎遠になっているがゆえに発生するのだ。マメに連絡をとったり、近況を知っていたりすれば、騙されることもないのだ。
「しかも、内々の話にして欲しいんだけれど・・・」
真澄さんに内緒にしてほしいということなのだろう。もちろん、息子の嫁の名前は出さない。1歳になる孫の陸の存在も、相手が本当に息子かどうかを確認する切り札となるはずだ。
「聞いてる?」
「ああ、聞いてるとも」
会社の金を使い込んで株で損失を出したのか、小切手の入った鞄を鞄ごと紛失してしまい会社に多大な損害を与えてしまうのか。それとも痴漢の示談か。何を言われても驚かない準備はできていた。聞くところによると劇場型詐欺といって、息子と名乗るものから始まり警察官役や弁護士役が登場するタイプのものもあるようだ。
さあ、なんでいいぞ。心の準備はできている。
「結論からいうと、金が必要になった」
「ほお」
相槌を打ったものの、口の中がからからに乾いていくのを感じた。緊張していないといえば嘘になる。やはり金品の要求だ。
「いくらだ?」
「取り急ぎ50万円必要になった」
どこまで話を合わせるべきか悩みどころだった。引き際が肝心だ。しかし、この手の事件があることは知っていたが、実際は遠い世界の話だと思っていた。本当にこんな電話が掛かってくるものなのかと驚きを通り越し妙に感心してしまった。
「何に使うんだ? さすがに理由ぐらいは教えてくれよ」
「おふくろにも、もちろんマスミにも知られたくないんだ」
耳を疑った。気になる点が二つあった。息子が母親のことを「おふくろ」と呼んでいるのを聞いたことがないこと。確か「かーさん」と呼んでいた気がする。それとも本人には「かーさん」と呼ぶが、対外的には「おふくろ」という呼称を使っている可能性もある。
もう一点は、嫁の真澄の名前がスラっと出ていること。しかし、下調べの段階で周辺人物の名前ぐらいは当たり前のように入手している可能性もあった。ワイドショーや週刊誌によれば、家族構成まで調べ上げられたリストが高値で出回っているという話だ。ひょっとすると、孫の陸の名前も掴んでいるのかも知れない。
「その、真澄って誰だ?」
「おいおい、勘弁してくれよ。マスミだよ」
こちらのブラフは難なくかわしてきた。演技にしては上手すぎるぐらいだ。ひょっとすると、劇団員とか俳優の卵が電話を掛けているのかも知れない。そんな話はワイドショーではやっていなかったが。
「本当にくれぐれも内密にお願いしたいんだけど、実は、職場の女性社員を孕ませちまったんだ」
なんて返答すればよいのか言葉に窮してしまった。
「大丈夫、もうすっかり切れてはいる。ただ、もろもろの費用以外にもいろいろと必要でさ。わかるだろ? それに、わが家では金の管理はマスミがしてるから、自由になる金を持ち合わせてないんだよ」
それは大変だ。真澄さんの耳に入ったら大変なことになる。孫の屈託のない笑顔が遠ざかっていく光景が頭をかすめた。そんなことが発覚したら家庭崩壊は避けられないだろう。
たいていの人間はここで信じ込むのだろう。
秘密を共有させたり、隠ぺいしなければいけない事案をちらつかせる。第三者はおろか、警察などにも相談しにくい内容がベストとされている。女性を妊娠させた、というパターンは聞いたことがない気がした。自分が覚えていないだけで、こういうパターンもあるのかも知れない。
しかし、親に金の無心をする際の古典的なパターンではある。逆にいえば昨今はなかなか耳にしない話でもある。息子が会社の同僚と不倫の末に妊娠させた。ありえないとは言い切れないが、女にだらしない素振りなんてこれまでに一度もみせたこともないし、聞いたこともない。
「振り込んで欲しいなんて、そんな詐欺まがいなことは言わないから安心して」
自ら「詐欺」というワードを出してくるなんて強気だなと思った。自信のあらわれでもある。裏をかいて相手を信用させるのだろう。
「じゃあ、家にとりにくるか?」
どうせ本人は急に行けなくなったといって、代役がお金を受け取りにくるパターンだ。シナリオはだいたいワイドショーで知った通りに進むのだろう。そもそも、今すぐにきたところで現金があるわけでもない。
「え? もしかして、50万円家にある?」
「ある。今すぐこれるのか?」
「助かるよ。わかった。今すぐいくよ。あ、携帯の充電が切れそうだから、この電話終わったらたぶんもう電話繋がらないよ。まあ、とにかくすぐ向かう。くれぐれも内緒にしてくれよ」
電話は切れた。左耳に強く受話器を押し当てていたせいか、受話器を置いた途端左耳がヒリヒリと痛むことに気づいた。
どうせ、このあと本人が行けなくなったといって代役の電話から電話をしてきて、代役にその場で変わるというパターンだろう。
典型的なパターンだ。
息子の携帯電話の番号をプッシュしてすぐに電話をかけた。おかけになった電話は電波の届かないところにあるか電源が入っていないためかかりません。機械的なアナウンスが流れた。
真澄さんに電話をしようかとも思ったが、話の内容的に耳に入れるのは気まずさがあった。女房の妙子に相談しようかとも思ったが、これも「内密に」と言われている以上相談するのは気がひけた。
結局、こうやって一人で抱え込むから騙されるのだ。そういうパターンなのだろう。感心している場合ではないが、実にうまく考えられている。老人の孤独に付け込んだあくどい手口だ。
ワイドショーでやっていたあらゆるパターンを想定し、さまざまな事例を頭の中でめぐらせながら次のアクションを待った。
三十分ぐらい経った頃に、インターホンが鳴った。なるほどなと思った。直接代役の人間を寄越すパターンできたか。
「受け子」「出し子」「掛け子」という専門用語も知っている。この場合、インターホンを押して直接現金を回収する役回りのことを「受け子」と呼ぶ。振り込まれた預金口座から引き落とすものが「出し子」で、電話をかけて騙す役を「掛け子」というのだそうだ。
警察を呼んでおいたほうがよかったのかも知れないな。そう思いながらも玄関を開錠しドアを開けた。
「オヤジ、わりぃ」
そこに立っているのは紛れもなく息子だった。
この時ほど詐欺であって欲しい、嘘であって欲しいと願ったことはなかった。
こういうパターンは、ワイドショーではやっていなかった。
-了-