【005】向う端にすわった男 東直己【だからわたしは本を読む】

【005】向う端にすわった男 東直己【だからわたしは本を読む】

【005】向う端にすわった男 東直己

向う端にすわった男 (ハヤカワ文庫JA)

東直己。ハードボイルド作家。長編になればなるほど味わいが増す、めちゃくちゃ好きな作家の一人だ。代表作「探偵はバーにいる」などは大泉洋主演で映画化もされている。すすきのを舞台にした活劇だ。

なぜ東直己作品をめちゃくちゃ好きなのか考えてみた。特にこの「俺」シリーズに関して。ひとつは、札幌に住んでいたことがあるから親近感がわくのではないか、ということ。確かにそれも一理あろう。

しかし、それだけではない。愛すべきキャラクター描写。主人公がいい。かっこいいのかかっこ悪いのかよくわからないけど、かっこいいのだ。ハードボイルド特有のワイズクラック(皮肉)も「俺」ならではのセリフも多いのだ。かっこつけてないからかっこいい。

男の根っこは、やせ我慢。それこそハードボイルド。

で、この本は短編集という名のもとに「俺」が活躍する話がいくつかに分けられている。正直、本編は星3つと辛口だ。でも、「俺」シリーズの魅力に迫るにふさわしい一文を見つけたので、あえてレビューに記したいと思い至ったのだ。

「自分のケツは自分で拭く、それがたとえ理不尽に汚されたのであっても、自分のケツを拭くのは自分しかいない。

~中略~

しかし自分ひとりでは拭ききれないほど汚れる場合だってあるだろう。それに、たとえ自分のケツは自分で拭くにしても、拭く紙は、たぶん苫小牧かどこかの製紙工場の従業員が作ってくれた紙で、それをトラックの運転手が問屋に運んで、問屋から小売店に運ばれて、それを買ってきたものであり、つまり、人間同士が複雑に錯綜して関わり合う現代社会に生きる人間は、完全に自分だけの力で自分のケツを拭くのは不可能なのだ」

探偵「俺」シリーズの肝はこの一文にあるな、と思いました。他者との関わりなくして物語が成り立たない。多少の下品さも、魅力のひとつだったりする。

好きな作家のひとり、あ行から探せばすぐ出会える、東直己さんの作品でした。

2016.09.30(読書ログから転載)

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