知らないというのは恐ろしい!:追記あり
- 2016.02.08
- 音楽

とにかくひょうきんだったらしい。
幼少期は「ひょうきん」だったようだ。ご近所さんや親戚たちが喜ぶからといって歌ったり踊ったり、おどけてみせたりしたのだそうだ。ほとんど覚えていないので具体的な心境は定かではないのだが、大人たちが手を叩いて喜んでくれていることが快感だった気もする。ようするに目立ちたがり屋だったのではないだろうか。
目立ちたがり屋だから、人前で歌を歌うことに対して恥ずかしいなんて思いは一ミリもなくて、できることならマイクを離さずにずーっと歌っていたいと思っていたフシさえある。
初めて自分の声をマイクに通し、人前で歌ったのは5歳か6歳、いや7歳ぐらいだっただろうか。
母方の祖父母の家にはカラオケセットがあった。いわゆる8トラカラオケで、歌詞カードもついていて恐らく100曲以上はあったと思うし、何曲入っているというのをウリにしていたアイテムなのではないかと思う。
今のご時世でいえば家に通信カラオケがあるようなもので、田舎だからこそできたことなのだろうが、家にカラオケがあるというのはかなり衝撃だった。
ゆえに母の実家へ行く盆と正月には必ずといっていいほどカラオケに興味を持った。祖父母はご近所さんやお友達とのために使用していたのであろう、孫や娘一家とカラオケしよう!という雰囲気はまるでなかった。それでも、孫がカラオケに興味あるっていうからやってみるっぺか、というノリで何度かカラオケで歌わせてもらった記憶があるのだ。
なんとHIBIKI少年、5歳~7歳ぐらいにして十八番としていた歌は大川栄策のさざんかの宿という演歌だった。なぜその歌を知ったのかも覚えていないのだが、その歌ばかりを歌っていた記憶だけはしっかり残っている。もちろん歌詞の意味なんてこれっぽっちも知らなかった。
この歌はこういう歌なんだよと祖父母やあるいは両親が、当時、歌詞の説明をしてくれたのかどうかは定かではないが、帰省するたびに「さざんかの宿」を熱唱するという蛮行は今思い出してみても恥ずかしい。
愛しても愛しても ああ 他人の妻ぁ~♪
すごい歌詞だ。他人の妻とかいてヒトノツマと読む。
ぬいた指輪の罪のあと
かんでください思い切り
こどもには意味がわからんですよ。指をかんでくれなんておかしいよね、と思っていたに違いない。。。
まあ、もちろんいい思い出なんですが、知らないってのいうのは恐ろしいですな!
追記:2月10日
どうやらHIBIKI少年は祖母の甥っ子の結婚式で
「さざんかの宿」を披露しようとした、という新エピソードを入手しました。
祖父や親戚に「どこでこんな歌覚えたんだ!!」と止められたのだそうです。
結婚式で歌うなんて一番ダメな歌ですからねぇ・・・。
本当に、知らないというのは恐ろしい!!