「一緒に映画を作りませんか?」シーズン1

「一緒に映画を作りませんか?」シーズン1

世紀末。
二十歳の頃だ。
俺はクエンティン・タランティーノにかぶれて、香港映画に魅了されて、インディーズ映画のイの字も知らないくせに、突然にも「映画を作りたい」と思い立ったことがある。そして、雑誌せんだいタウン情報のメンバー募集の欄を利用した。

「一緒に映画を作りませんか?」

二十人以上の応募があった。
こちとら毛も生えていないような初心者だったが、連絡をしてくる方々はなかなかに映画通。舞台役者さんや、企画営業などのアイデアマン・アイデアウーマン、アートディレクションに長けていそうなシャレオツなオネーサンなどなど。連絡をくれた方々にはちゃんと「僕は初心者だよ」と告げた上で進行したつもりではいた。あるいは相当背伸びしていたかも知れない。もちろん映画製作の勝手など知らなかったが、「映画を作りたい」という衝動がとにかく物凄すぎたのだ。動けば結果はついてくるさ。いまだにその考えは俺の根源にある。

※当時バイブルとしていた本

クエンティン・タランティーノの肖像 B級エンターテインメントの帝王 (シネマスター・ライブラリー・シリーズ)

俺は短時間で脚本を書き上げた。くそつまならい本だったのはいうまでもないが、まず予算の概念がないからシーン数もバカみたいに多かった。なにせ初の脚本なので、撮影時間を考慮することなどできるわけがない。シナリオとして成立させるのだけがやっとだった。タイトルは「カフス」というもので、女性向け漫画の槇村さとる氏の「CUFFS」を原作原案としたシナリオだった。手錠でつながれた男女が組織から逃げる、という巻き込まれ系サスペンスとでもいおうか。

初顔合わせと本読みを同時に行うせっかちぶり&ワンマンぶり。チーム名も勝手に「ボニー&クライド」と決め、初回は仙台駅内の喫茶店で6人集まった。全員が年上だった。10歳上の人もいた。本読みしつつ、これは撮影できるのかとか指摘を受けつつも、自分も学習していく。うん、何も考えていなかった、と。

短期間で脚本の手直しをした。映画を作りたいという思いだけが先走った早漏野郎は、もはや「クランクイン」という言葉を言いたいだけだった。とにかくクランクインを急ぎ、公民館を借りて撮影にのぞんだ。「はい本日よりクランクインです。みなさんよろしくお願いします」と監督然とした発言をして「あー気持ちいい」と自己満足に浸りたかっただけでもないのだが、あの自己満足感を味わえたのは宝だろう。

しかし、大変。何がって、初日から大所帯。二十人近く集まりその切り盛りだけで大変だった。学校の先生かと。あっちいっては指示して、こっちいっては指示しつつ、せっかちだからすぐ撮影に入った。めちゃめちゃだった。でもやることはった。シーンとしては1つのシーンを撮影しただけなのに半日かかったと記憶している。勢いだけがとりえだったので、めげずに2シーン目も撮影した。喫茶店で殺し屋が会話しているシーンの撮影だ。殺し屋の片割れというチョイ役に自分も出演しているのだが、もう北野武とクエンティンに憧れすぎだろ!とツッコミたい。1日かけてくったくたになるような撮影をこなした

しかし、シーン数の多いシナリオと撮影した映像とを見比べて、ただただ唖然とした。これ無理じゃん! 絶対ゴールできない。このシナリオだと半年以上はかかる・・・。

映画作りはそんなに簡単なことじゃなかった。ワンマンプレイとせっかちプレイを封印してチームで協力して一作目にのぞんでいれば、別の結果が待っていたに違いない!と今ならば思うし、そう言える。しかし、二十歳のバカ僧は聴く耳を持たなかっただろうな。まずみんなでシナリオを削っていく作業をしていれば、みんなで作っている感は増しただろう。経験を経てチームビルドに長けた今ならよくわかる。「自分が作った」を優先するのではなく「みんなで作った」という成功体験ほど、チームを強くするキーワードはない。

そう思えば、映画製作チーム「ボニー&クライド」を運営し、年上の仲間たちに可愛がってもらえたことが、自分ののちの人生に多大な影響を及ぼしているのは言うまでもないだろう。

さて、旗揚げしたばかりの、映画製作チーム「ボニー&クライド」は果たしてクランクアップへこぎつけられるのだろうか?

⇒ 次号へ続く

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