「似ている人を見かけました」

「似ている人を見かけました」

「似ている人を見た」と言われることがよくあった。裏を返せばよくいる顔だということなのかも知れない。

 

「似ている人を見た」と言ってくるのが、ごく親しい人間や日常的によく一緒にいる人に限られていることも特徴的だった。ごく親しい友人からはわざわざメールで「今、西日暮里にいなかったか?」とか「山手線の反対側のホームで見ました」とか嘘みたいな話だが、わざわざメールが飛んできたものだ。もちろん、いちいち否定したり、いちいちノリツッコミしてみたりしていた。

 

職場で長い間共に働いた後輩からも、恵比寿のライブハウスでそっくりな人を見て思わず話しかけそうになった、と言われた。これまた職場の先輩から「町田の仲見世通り(けっこう狭い路地)で昨日すれ違わなかった?」などと言われた。前者は、話しかけそうになりつつも別人であることを認識しているが、後者は翌日確かめるぐらいならその場で挨拶なりしてほしいものだ。もちろん両方、自分ではなかった。

 

そんなにありきたりな顔なのか、とムっとしようと思えばムっとできるところなのだが、それなら逆パターンがもっとあっていいと思うのだ。見ず知らずの美女が誰かと間違えて俺に話しかけてきたり、貸してもいないお金をポンっと返してくれる人が急にあらわれたりしてもいいと思うわけだ。都合よすぎるか。

 

でも思い返せば一度だけ、人違いして俺に向かってきた人がいた。ベガルタ仙台時代の武藤雄樹選手(現・浦和レッズ)だ。ベガルタが連敗しまくっていてもうヤヴァイという2014年、対川崎フロンターレ戦の日に等々力競技場へ行く前に激励に、と思い某宿舎へ立ち寄ったのだ。バスへ乗り込むチームの選手の面々らを、声をかけるでもサインをもらうでも握手をねだるでもなく見送ったわけだが、そのとき武藤雄樹選手だけが誰と間違えたのか俺に対して一礼し頭をさげて向かってきたのだ。しかもなんなら握手しそうな勢いで。完全に誰かに似ていたわけだと思う。目がお久しぶりですと言っていた。流通経済大学の先輩にいたのかな?この顔。

 

「似ている人を見た」と言われる割には、誰かに似ているとして間違えられたり話しかけられたりすることはいまのいままで一度もなかったのだが、やっぱり、この顔、いるんだなと改めて実感した瞬間だった。

 

いつか「よく似た人」に会える日がきたらそこらへんじっくり聞いてみたいと思う。西日暮里や山手線や恵比寿のライブハウスや町田の仲見世通りに出没したことがあるか。かつ武藤雄樹選手を知り合いだったりするのかどうかを。まさにドッペルゲンガー。

 

 

 

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